空 白く煙り始め
少しずつ空気が水を含んでゆく
じきに雨が降る


窓をかたかたと揺らす雨音
庭の芝はすでに濡れ一層あおく
花壇の土は一身に水を吸っていた
花だけが寂しげにうつむく


雨はひたすら穏やかだったが
しかし確実に何かを蝕んでいった
それは君の幸せを願う私の心であり
花を慈しむ君の優しさだった


僕は君にふたさじの砂糖と
少しレモンをしぼった紅茶を差し出す
君の心が少しでも
雨を忘れ 花を忘れ
君を見つめる僕のことを思ってくれるように

夕暮とある人

暖かさと冷たさを含んだ秋の風が
君の髪を撫でる 
糸よりも細い君の金色の髪が
芝生の緑に美しく映えて揺れている
早くも陽は西に傾き
君の疲れた顔を燈色に染める


僕たちは互いに言葉を捨てたまま
ただ夕日からいつまでも目を離せないでいた
残された時間はもう僅かであると分かっているのに


耐えられなくなった僕は
君に気付かれぬようそっと君の横顔を見た
君は出会った頃と何一つ変わらぬまま
繊細で 美しく すべてを諦めることに慣れていた


君が音もなく流す涙を
僕は止めてやることができなかった
君が声を上げて流す涙を
僕は止めてやることが出来なかった
何もかも無防備に信じる君は
生きていくには純粋すぎた


人生で最も深く愛する者を
僕はたったひと時でさえ救うすべを持たない
何にも代えられぬ君の隣で僕も
物言わぬ夕日と同等に無力だった

ピアノ

月の光に青く照らされたピアノ
全てのものが静けさの中で 夢の中に連れられた後の
温もりひとつない夜


指先でふれた鍵盤は冷たく硬く
シルクのように滑らかだった
こんなに美しいもの そして世俗に穢れた僕


自分を浄化するように僕はピアノを弾く
全ての鍵盤が息を押し殺して
じっと僕を見据えている


ピアノから溢れ出る音の金色の粒子は
僕の足元にしゃらしゃらと落ちる
そうして僕の影をすっかり覆ってしまった


気が付けば壁も窓も窓の外の木も空も
みんな僕を見ていた 表情もなく
輝く粒子は僕の影を奪って消えていた


僕はぐったりとピアノに体をもたれ
肺をじんじんと痛いほど冷やす空気を吸った
今にも風に千切れそうな影が窓の外を歩いていた